2007年08月27日

どうして自己嫌悪に陥るのだろうか

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どうして自己嫌悪に陥るのだろうか

「わたしには特別にいいところなんて一つもない」と,ルイーズは悲しそうに言いました。あなたも時々自分をいやに思うことがありますか。アメリカの若者たちを対象にしたある調査によると,大多数の若者は「ほとんどいつも楽しい」と言いますが,20%ほどの若者は,「感情的に空虚で……生き続けるよりもむしろ死にたい」と考えています。

実際,だれでもある程度の自尊心を必要とします。自尊心は「人間存在に威厳を付与する要素」と言われてきました。聖書も,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と述べて,そのことを認めています。―マタイ 19:19。

もし自分をいやに思うなら,他の人たちのことも恐らくいやに思うでしょう。さらに,自分は役に立たない,劣った人間だと考えるなら,内向的になり,ほかの人たちとうまくやってゆくのが難しくなります。批判されたらもちろんのこと,優しい言葉でからかわれても,がっかりするかもしれません。


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2007年08月24日

どうすれば自尊心を培えるだろうか

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警告の言葉

マタイ 19章19節やエフェソス 5章28,29節などの聖句には,自分を愛することの必要性が暗示されてはいますが,聖書はそれよりもはるかにひんぱんに,自分のことを過度に考えることについて警告を与えています。なぜでしょうか。

それは恐らく,わたしたちのほとんどが自信を得ようとして的をはずしてしまうからでしょう。自己中心的になる人は少なくありません。自分の技術や能力を大げさに強調する人もいれば,他の人々を見下げる傾向のある人もいます。このような人々は誇る者であり,自慢する者です。でも,彼らの自尊心は,その実際の価値を上回る,度が過ぎたものです。

クリスチャンでさえ,このわなに陥ることがあります。ユダヤ人と異邦人(非ユダヤ人)の間の対抗心は,1世紀のローマの会衆にも悪い影響を与えました。使徒パウロはそのために率直な助言を与えました。パウロは,異邦人たちに,その惨めな過去の状態を思い起こさせました。彼らが神の恵みという立場に「接ぎ木」されたのはもっぱら神の「ご親切」によっていたのです。(ローマ 11:17‐36; 1:26‐32)自らを義とするユダヤ人も,自分自身の不完全さに直面しなければなりませんでした。「というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからで(す)」―ローマ 3:23。

それでも,パウロは彼らから自尊心を奪い去ったでしょうか。つまり,彼らを身をすくませるこじきのようにしてしまったでしょうか。そうではありません。パウロは続いてこう述べました。「わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって……すべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません」。(ローマ 12:3)ある程度の自尊心を持つことは「必要」でした。しかし,度を過ごして誇ることは避けなければなりませんでした。―ローマ 11:20をご覧ください。

ですから,クリスチャンは極端を避けます。そのことは,アラン・フロム博士の次の言葉にも示されています。「自分自身に関して適正な概念を持つ人は,悲しみに沈むことはなく,かと言って喜びで有頂天になる必要も感じない。……その人は悲観的ではないが,その楽観的な考えも制御されないわけではない。無謀ではなく,特別の恐れを全く抱かないわけでもない……自分は常にすばらしい成功を収めるというわけではなく,何をやっても失敗するというわけでもないことをその人は悟っている」。

ですから慎み深くなければなりません。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」のです。(ヤコブ 4:6)自分の長所を認め,また自分の欠点も無視してはなりません。むしろそれを改善する努力を払ってください。

これからも時々自分に自信がなくなる時があるでしょう。しかし,自分の価値や,神があなたを気遣っておられるということを決して疑う必要はないのです。「人が神を愛しているなら,その人は神に知られている」のです。―コリント第一 8:3。


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2007年08月22日

どうすれば自尊心を培えるだろうか

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自己診断をしてみましょう!

最初に,自分の長所と短所を知ると助けが得られるかもしれません。ある心理学者は一つの有益な提案をしています。それは,自分について好きなところと嫌いなところを全部書き出すことです。

大体いつも「だめな」感じに付きまとわれている人なら,自分の欠点を並べた表は何ページにもわたる長いものになるかもしれません。自分の容ぼう,知力,性分などが気に入らない人もいることでしょう。しかし,多くのいわゆる欠点というものは,ごくささいなことか,例えば容ぼうのように自分ではどうしようもないものであることにも気づくはずです。変えることができないものについてなぜくよくよするのですか。一方,個人的な自己診断を行なった結果,短気とか利己主義といった重大な欠陥が明らかになるかもしれません。こうした問題については手を打つことができます。これらの問題について良心的に努力すれば,あなたの自尊心は確かに培われてゆきます。

自分の長所について目をつぶってしまってはなりません。料理ができるとか,パンクしたタイヤを修理できるとかいうことはそれほど重要ではないと思っているかもしれませんが,そうした技術のおかげであなたは,空腹を抱えた人や車が立ち往生してしまった人から英雄視されます。自分の道徳的な美点についてはどうですか。あなたは勤勉ですか。忍耐強いですか。同情心がありますか。寛大ですか。親切ですか。また謙遜で慎みがあり,柔和で教えやすいですか。これらの道徳的に優れた特質には,身体的な弱点をはるかに上回る価値があります。そして,どんな人にも自分を価値ある人間とする特質が備わっていることを忘れてはなりません。

しかし,自尊心を培うための明確な方法にはどんなものがありますか。次に簡単なチェックリストを掲げますが,これらはほんの数例にすぎません。

現実的な目標を設ける

空の星を手に入れるようなことばかりして失敗を重ねる人は,苦い失望感を味わいかねません。ですから達成可能な目標を設けることです。

その目標としてどんなものが考えられますか。タイプなどの技術を身に付けてはどうですか。読み方を改善したり,幅広く読むよう心がけたりするのです。聖書を通読したことはありますか。神の知恵の本を読むことはあなたに課せられた義務です。テレビを見る時間はすぐにでも価値ある計画のために振り向けることができます。楽器の演奏や外国語の会話を学ぶことに挑戦してみることもできます。何かを成し遂げる際の有益な副産物として,自尊心がはぐくまれることは珍しくありません。

良い仕事を行なう

あなたはパートタイムの仕事を持っていますか。あるいは家の中で仕事をしますか。仕事の手を抜くと,自分自身についてあまり満足感を抱くことはできません。しかし,神はご自分の創造の業に喜びをお感じになり,創造の時代が終わった時にそれを「良い」と宣言されました。(創世記 1:3‐31)あなたも,どんな仕事でも,それを上手に行なうときに喜びを得られます。―箴言 22:29もご覧ください。

他の人々のために何かを行なう

自分はふんぞり返って座り,他の人々にまめまめしく仕えてもらっていては自尊心は得られません。むしろイエスは,『だれでも偉くなりたいと思う者は,[他の人々のための]奉仕者[あるいは「奴隷」]でなければなりません』と言われました。―マルコ 10:43‐45。

聖書の真理を他の人々に分かち与えることは,他の人を助ける特に優れた方法であり,しかも個人的な深い満足感を与えます。例えば,17歳になるキムは,夏休みの各月に他の人に宣べ伝えるため,60時間を費やす予定を立てました。キムはこう言っています。「おかげで私はエホバに一層近づくことができました。また,人々に対する真の愛を培うことができるようになりました」。この幸福な若い女性が自尊心を持てなくなってしまうとは考えられません。

注意深く友達を選ぶ

17歳になるバーバラはこう言いました。「自分との関係は非常に惨めなものです。自分を信頼してくれている人々と一緒にいるときは良い仕事をします。自分を機械の付属品か何かのように扱う人と一緒だと,愚かな娘になります」。

高慢で無礼な態度を取る人々が原因で自分にいや気がさすことは本当にあります。ですから,自分の福祉に本当に関心を持つ,またあなたを築き上げてくれる友達を選びましょう。(箴言 13:20)そして,自分と同年代のグループの中だけに引きこもっていてはなりません。ダビデとヨナタンは年が大変離れていたにもかかわらず,互いを大いに築き上げる友情を保ちました。(サムエル第一 18:1をご覧ください。)確かに,友達を作るのは簡単ではないでしょう。しかし聖書は,利他的な態度で自分を与える人は友を引き付ける,と述べています。―箴言 11:25をご覧ください

神を最も親しい友とする

「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで……です」と詩編作者ダビデは言いました。(詩編 18:2)ダビデが信頼を置いていたのは,単に自分自身の能力ではなく,エホバとの親密な交友でした。そのため,後に逆境に見舞われても,ダビデは平静さを失うことなく,厳しい批判に耐えることができました。―サムエル第二 16:7,10。

あなたも,「神に近づき」,自分ではなくエホバを「誇る」ことができます。―ヤコブ 4:8。コリント第一 1:31。


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どうすれば自尊心を培えるだろうか

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どうすれば自尊心を培えるだろうか

「自分でも自分のことは気に入っています」。最近,一群の若者たちを対象にした調査が行なわれ,そのさい全体の3分の2以上が上記のような意見を述べました。その代表例とも言えるのが16歳になるエドワードです。エドワードは,「僕には自信があり,その感じが僕は好きです」と言いました。

しかしほかの3分の1はどうだったでしょうか。

その人たちは劣等感と闘っています。そしてあなたも,時々自分にいや気がさすことがあるかもしれません。では若い人々はどうすれば自尊心を培えるでしょうか。


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2007年08月19日

どんな人が摂食障害に陥るか

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食餌制限の役割

調査によれば,人が大食する理由として挙げる最も一般的な理由は,厳格な食餌制限をしていたということです。1989年に行なわれた肥満の原因に関する調査では,「体重を気にして食餌制限を行なうことがかえって太り過ぎという事態を招いているらしい」ということが明らかにされました。しかし,なぜそうなのでしょうか。

徹底的な食餌制限を行なおうとする人は,普通,甘い物や味のよい食物を差し控えます。それら“禁じられた”食物は絶えざる誘惑になります。しかし,怒りや心配や寂しさを感じると,その人は惨めな気持ちになります。そして気分を変えるために,自ら断っていたその食物をたらふく食べます。そのあとは前よりもさらに厳しい食餌制限をしますが,そのあとまた大食するという同じ結果になります。こうした悪循環が体重の増加と摂食障害につながります。リーは,食餌制限をしたために拒食症に陥る環境ができてしまったことをこう説明しています。「私はあらゆる食餌制限を試みていました。体重は減ったかと思うと,また元に戻りました。それで今度こそは減量したままの状態を保ちたいと思いました」。

摂食障害の原因を知っていれば問題を必ず克服できるというわけではありませんが,そのような知識は,窮地から抜け出すための助けになる場合がありますし,問題に陥らないための助けにもなります。しかし,自分自身や身内の者や友人に,摂食障害に陥りやすい人の人格特性が見られることに気づいた場合,どうしたらよいでしょうか。そのような特性は,どうすれば克服できるのでしょうか。


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どんな人が摂食障害に陥るか

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感情的な苦痛に対処する

物を食べると心は和らぎ,穏やかな気分になるので,孤独,不安,退屈,怒り,憂うつなどの感情や,拒絶された,裏切られたといった気持ちを紛らわすために誤用されることがあります。ドーンはこう説明しています。「学校に通っていたころ,とても苦しくてだれにも話せないほど辛い経験をしたことがありました。そのことを考えたり,手に負えない事態に陥ったりすると,そのたびに大食しました。とにかく物を食べてそうした気持ちを紛らわそうとしたのです」。彼女の感情的な苦痛は食物によって軽減しました。しかし,がむしゃらに食べたため,体重は45`も増えてしまいました。

摂食障害は,生活の中の様々な圧力から逃れるための手段となることもあります。アーナはそのよい例です。彼女はアルコール中毒の父親のいる家庭で育ち,絶えず体重のことでからかわれていました。彼女は多食症になった理由をこう説明しています。「多食は毎日のストレスに対処する私なりの方法だったのです。何かを気に病んでいる時は自分の現実の問題について考える必要がなかったので,その方法は効果がありました。何もかも太り過ぎのせいにして,減量すれば人生はすばらしいものになると自分に言い聞かせるわけです」。

人はだれでもいらいらしたり,寂しくなったりしたときに,幾らか余計に食べることがありますが,摂食障害に陥る危険のある人は,心の悩みを解消するために普通に使われる手段は用いません。例えば,だれかに,あるいは何らかの状況に対して,心の底に敵意を抱いていても,それを口に出すよりもむしろ食べることによってなだめるのです。


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2007年06月30日

どんな人が摂食障害に陥るか

感情的な苦痛に対処する

物を食べると心は和らぎ,穏やかな気分になるので,孤独,不安,退屈,怒り,憂うつなどの感情や,拒絶された,裏切られたといった気持ちを紛らわすために誤用されることがあります。ドーンはこう説明しています。「学校に通っていたころ,とても苦しくてだれにも話せないほど辛い経験をしたことがありました。そのことを考えたり,手に負えない事態に陥ったりすると,そのたびに大食しました。とにかく物を食べてそうした気持ちを紛らわそうとしたのです」。彼女の感情的な苦痛は食物によって軽減しました。しかし,がむしゃらに食べたため,体重は45`も増えてしまいました。

摂食障害は,生活の中の様々な圧力から逃れるための手段となることもあります。アーナはそのよい例です。彼女はアルコール中毒の父親のいる家庭で育ち,絶えず体重のことでからかわれていました。彼女は多食症になった理由をこう説明しています。「多食は毎日のストレスに対処する私なりの方法だったのです。何かを気に病んでいる時は自分の現実の問題について考える必要がなかったので,その方法は効果がありました。何もかも太り過ぎのせいにして,減量すれば人生はすばらしいものになると自分に言い聞かせるわけです」。

人はだれでもいらいらしたり,寂しくなったりしたときに,幾らか余計に食べることがありますが,摂食障害に陥る危険のある人は,心の悩みを解消するために普通に使われる手段は用いません。例えば,だれかに,あるいは何らかの状況に対して,心の底に敵意を抱いていても,それを口に出すよりもむしろ食べることによってなだめるのです。

摂食障害が始まったのが小学3年生から。
このころ、幻覚幻聴が始まっているから
食べないことで親の注意を引きたかったのかもしれない。
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2007年06月04日

どんな人が摂食障害に陥るか



自分には能力がない

ドーンの感じていた自信のなさは,摂食障害を抱えている多くの人に見られる自信喪失の典型です。大抵の場合,才能はあるのに,自分の価値を認める点が基本的に欠けています。食べ過ぎは,自尊心の低さの表われである場合もあります。その人は事実上,『私は何をしても駄目な人間。だから容姿や体重に気を遣う必要はない』と言っていることになります。そのような感情が原因で生じるのがうつ病で,摂食障害を抱えている人のほとんどがこの病気にかかっています。

自分は駄目な人間だというこの精神は一体どうして生まれるのでしょうか。聖書はその答えとして,「喜びに満ちた心は顔色をよくするが,心の痛みのゆえに打ちひしがれた霊がある」と述べています。(箴言 15:13)内面に生じる痛みの原因としては様々な事柄が挙げられます。ひどい失意,失恋,感情的な必要が無視される環境,精神的痛手を負った子供のころの経験などがそうですが,これらはわずかな例にすぎません。摂食障害者の中には,性的に虐待された人や強姦された人が意外に多いことが,調査の結果明らかになっています。

しかし,他の人の態度が原因で自尊心が低下することもあります。ある若い女性はこう説明しています。「私は小さい時分から太りすぎていたので,母はそのことを繰り返し口にしました。私がやせるように,ありとあらゆることが行なわれました。太っていることだけが問題にされていたのです。ですから自分自身と自分の体がつくづく嫌になりました」。すらっとしたスタイルを大いに称賛する今日の社会環境も,太り過ぎの人を自己嫌悪に陥れる原因となっています。

また,摂食障害そのものが原因で自尊心を失う場合もあります。1日に10回も食べた物を吐き出していたリンはその点を認めてこう述べています。「私は食べた物を吐き出したあと鏡を見て,『あなたなんか大嫌い』と言っては泣いていたものです。私は自分が何の価値もない人間に思えました」。

摂食障害者は大抵,自分には人格上の重大な欠陥があると思い込んでいます。そのため,基礎的な能力の不足という致命的な欠点を隠すことに,また自尊心を高める方法を見いだすことに全力を傾けます。拒食症になる人たちは,一種独特の方法でそれを試みます。自尊心を持とうとするその努力ゆえに,拒食症は油断のならないもの,死を招くほどのものになるのです。

リーは愛していた男性に背を向けられたとき,自尊心をなくしてしまいました。「私は,彼が拒絶したのは素敵な人だったということを証明したいと思いました。それで,飛び切りスマートな,ほっそりした体になろうと決心したのです」と,彼女は言いました。減量するために,食事を取らず,非常に忙しくするようになりました。「次第に自信がついてきました。他の人にはできなかったことが私にはできたのだから本当に大したものだという気持ちになりました。『私は強い人間だ』と思いました」。

リーの体重は73?から憂慮すべき47?に減りました。彼女に食事をさせようと努めた人たちのことを思い起こしながらリーは語りました。「そういう人たちはみな,私の自尊心を奪い去って私の人生と幸福を台なしにしようとしているのだと思いました。結局は自分もほかの人たちと同じようになってしまうと思ったのです」。リーのその態度は,拒食症患者が示す典型的な態度です。拒食症の人は,自分の欲望を抑制し,他の人ができないことを行なうことによって自尊心を得ようとするのです。

少女が感情をもてあそばれている場合にも,自分の弱い自尊心をそれ以上傷つけられないよう守ろうとして拒食症に陥ることがあります。例えばシャーリーは,体つきが変わってきたとき,自分に対する男の子たちの態度に悩まされました。その上,実の父親から何度かみだらな誘いを受けました。「恥ずかしさと汚らわしさとで居たたまれなくなり,母のところへ行ってただ泣くばかりでした」と,彼女は言います。「体重を減らして体の丸みをなくしたら,だれにも煩わされなくなりました。異性の注意を引かずに済むようになったのです」。

拒食症は,大人の務めからの逃避である場合もあります。「大人になって家族の多くの責任を担うことなど嫌でした」とシャーリーは言いました。「だからどうしたって体重を増やすことなどできないわ。絶対に。だれのためであっても」。悲しいことに,彼女は時を停止させようと躍起になり,自ら招いた飢餓によって痛ましい死を遂げました。

拒食症の人がみなこういうふうだというわけではありません。しかし,拒食症の人はみな,自分自身を自分が称賛できる人物に仕立てることによって,自分は強いのだという気持ちを持つようです。そのようにして幾らかの自尊心を得ます。その人にとって,やせていることは誇りであり,喜びなのです。

しまいには欠陥までぼろぼろになって
点滴さえもれてしまうのにね。


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2007年06月02日

どんな人が摂食障害に陥るか

完全であることに努める

摂食障害を抱えている人々は,一つのグループとしてはその大半が,学校や職場で抜群の成績優秀者また完全主義者になる傾向があります。ヒルデ・ブルッフ博士は,130人ほどの拒食症患者を治療した後,その著書「金の籠」の中で,そういう患者に見られる典型的な感情をこう描写しています。「そういう人は一種の大きな恐れを抱いている。つまり普通の,もしくは並の,あるいは平凡な―十分に良いとは言えない―存在になることへの恐れである。……その人は何か特別な事柄,つまり親や好きな人たちが感激して,あなたは飛び抜けて優秀だと称賛するほど偉大な,そして華々しいことをしなければ,自分には価値がないと思っている」。

拒食症にかかったことのあるリーはその点を認め,「最高のことをしよう,することは何でも完ぺきにしようと努力していた」と言いました。完全であろうとするこの努力は,人に喜ばれたい,『世界一素敵な娘』になりたいという熱烈な願望の表われです。

社会における自分の役割をどうみなすかも,女性をとりわけ拒食症に陥りやすくならせる要因かもしれません。男性が摂食障害に陥ることも確かにありますが,影響を受けるのは主に女性です。「摂食障害を乗り越えて」という本はこう説明しています。「摂食障害に陥るのは,人に要求をしない人間になるべきだと信じて育ってきた少女である場合が少なくない。いい子とは,悩み事があっても顔に表わさないでいられるおとなしい,目立たない子なのである」。しかし,そのように育てられているために,生活が自分の思いどおりにならないと感じている人もいます。

人によっては,常に他の人を喜ばせることに努めながらも,その一方では,自分なりの生活をしたいという願望を抑えているため内心の葛藤が生じ,それが摂食障害につながる場合もあります。心因性過食症と多食症から抜け出したドーンはこう説明しています。「家族からは何事においても我が家の家風に従うよう,そして家族が望むとおりの人間になるよう期待されていました。私は表面的にはとてもしっかりした知的な子に見えましたが,内面は決してそうではなく,とても家族の期待にはそえないと思っていました。友達であれ親であれ,人を喜ばせることなど私にはできませんでした。でもその後,自分の体重なら自分でコントロールできることに気づきました。増やすことも減らすこともできます。自分のしたいと思うことができます。自分で自分の生活をコントロールしているという気持ちになれます。もしこれを思いどおりにすることができるのなら,何でも思いどおりにできるはずです」。

まさにここに書かれているとおりって感じですね。
すごい人じゃないと周りから愛されないし
自分には価値がないという
強迫観念に似たものを
子供のころから持っていました。


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2007年06月01日

どんな人が摂食障害に陥るか

どんな人が摂食障害に陥るか

自分の容姿にある程度の関心を抱くのは正常なことですが,もし自分の外見ばかり気にするようになると摂食障害に陥るかもしれません。次の対談はそのことを示すよい例です。

「目ざめよ!」誌: アン,問題が起き始めたころ,あなたは太り過ぎていたのですか。

アン: いいえ。でも,デートするようになってから,きれいになりたいと思ったんです。

「目ざめよ!」誌: あなたの自尊心は自分がどう見えるかによって影響されましたか。

アン: ええ,それは間違いないと思います。人々の目が私に向けられるといつも,『あの人たち,どう思っているかしら』と考えました。『魅力的であるためにはやはり体型がよくなければ』という思いがいつもありました。

「目ざめよ!」誌: では,自分の外見はなかなかいいと感じるときには,自分に満足できたのですね。

アン: ええ,そのとおりです。体重が増えると,自分が嫌になりました。鏡で自分を見るときは,内面的な特質のことなど考えもしませんでした。

同じような状況の下にありながら摂食障害に陥る人と,そうでない人がいるのはなぜなのか,その理由はだれにも分かっていません。文化,遺伝,健康上の異常もしくは生化学的な異常,家庭環境などはいずれもかかわりを持っているようです。それでも,この障害を抱える人の大半に共通しているように思われる人格特性が幾つかあります。

わたしが摂食障害なったのは小学3年生だった。
はじめは拒食症だった。
もともと腸が弱くいつも下痢したり
吐いたりしていたけど
母が背中をさすってくれるのがうれしかった。
寂しかったんだろうね。


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どうして自分がいやになるのだろう

警告の言葉

興味深いことに,聖書は,自分を過度に高く評価しないようしばしば警告しています。なぜでしょうか。それは恐らく,わたしたちのほとんどが,自信を得ようとして度を過ごす傾向があるからでしょう。自己中心的になって,自分の技術や能力を誇張する人は少なくありません。他の人を見下げて自分を高める人もいます。

1世紀にローマの会衆は,ユダヤ人と異邦人(非ユダヤ人)の間の激しい対立に悩まされていました。そこで使徒パウロは異邦人たちに,彼らが神の恵みという立場に「接ぎ木」されたのは,ただ神の「ご親切」によるものであることを思い出させました。(ローマ 11:17‐36)独善的なユダヤ人も,自分自身の不完全さに直面しなければなりませんでした。「というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからで(す)」と,パウロは述べています。―ローマ 3:23。

パウロは彼らから自尊心を取り去ることはしませんでしたが,こう言いました。「わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって……すべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません」。(ローマ 12:3)ですから,ある程度の自尊心を持つことは「必要」ですが,この点で極端になるべきではありません。

アラン・フロム博士はこう観察しています。「自分について適正な考えを持つ人は,悲しみに沈むことはなく,かと言って喜びで有頂天になる必要も感じない。……その人は悲観的ではないが,その楽観的な考えも制御されないわけではない。無謀でもなければ,特定の恐れを全く抱かないわけでもない……常にすばらしい成功を収めるというわけではないが,何をやっても失敗するというわけでもないことをその人は悟っている」。

ですから慎み深くなければなりません。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」のです。(ヤコブ 4:6)自分の長所を認めましょう。しかし欠点も無視してはなりません。むしろ欠点を改善する努力を払ってください。それでも時々自分を信じかねる時があるでしょう。しかし,自分の価値や,神があなたを気遣っておられるということを決して疑う必要はないのです。「人が神を愛しているなら,その人は神に知られている」からです。―コリント第一 8:3。

ローマ11章17〜36節
17 しかしながら,枝のうちのあるものが折り取られ,他方あなたが,野生のオリーブでありながらその[枝]に交じって接ぎ木され,そのオリーブの肥えた根にあずかる者となっていても,18 それらの枝に対して勝ち誇ってはなりません。しかし,たとえそれらに対して勝ち誇るとしても,あなたが根を支えているのではなく,根があなたを[支えている]のです。19 ここであなたは言うでしょう,「わたしが接ぎ木されるために枝は折り取られたのだ」と。20 そのとおりです! 彼らは信仰の欠如のゆえに折り取られ,一方あなたは信仰によって立っているのです。高ぶった考えを抱かず,むしろ恐れの気持ちでいなさい。21 神が本来の枝を惜しまなかったのであれば,あなたを惜しまれることもないからです。22 それゆえ,神のご親切と厳しさとを見なさい。倒れた者たちに対しては厳しさがあります。一方あなたに対しては神のご親切があります。ただし,あなたがそのご親切のうちにとどまっていればのことです。そうでないと,あなたも切り落とされることになります。23 また彼らも,信仰の欠如のうちにとどまっていなければ,接ぎ木されることになるのです。神は彼らを再び接ぎ木することができるからです。24 というのは,あなたが本来野生のオリーブの木から切り取られ,自然に反して園のオリーブの木に接ぎ木されたのであれば,まして,本来それに属するこれらのものは自らのオリーブの木に接ぎ木されるはずだからです。

25 兄弟たち,あなた方が[ただ]自分の目から見て思慮深い者とならないために,わたしはあなた方がこの神聖な奥義について無知でいることがないようにと願うのです。すなわち,諸国の人たちが入って来て[その人たちの]数がそろうまで,感覚の鈍りがイスラエルに部分的に生じ,26 こうして全イスラエルが救われることです。まさに書かれているとおりです。「救出者がシオンから出て,不敬虔な習わしをヤコブから遠ざける。27 そして,わたしが彼らの罪を取り去る時,これが彼らに対するわたしの契約である」。28 確かに,良いたよりについて言えば,彼らはあなた方の益のために敵となっていますが,[神の]選びについて言えば,彼らはその父祖たちの益のために愛されています。29 神の賜物と召しとは,[神]が悔やまれる事柄ではないからです。30 あなた方がかつては神に不従順で,今は彼らの不従順のゆえに憐れみを受けているのと同じように,31 彼らがいま不従順になってあなた方に憐れみが及んでいても,それは彼ら自身も今や憐れみを受けるためなのです。32 神は彼らすべてを共に不従順のうちに閉じ込め,こうしてそのすべてに憐れみを示そうとされたのです。

33 ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は[何と]たどりがたいものなのでしょう。34 「だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか」,35 また,「だれがまず[神]に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか」とあるのです。36 すべてのものは[神]から,また[神]により,そして[神]のためにあるからです。[神]に栄光が永久にありますように。アーメン。

ローマ3章23節
23 というのは,すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しないからであり,

ローマ12章3節
3 わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって,あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。

ヤコブ4章6節
6 しかし,[神]が与えてくださる過分のご親切はそれに勝るのです。ですから,こう述べられています。「神はごう慢な者に敵し,謙遜な者に過分のご親切を施される」。

コリント第一8章3節
3 しかし,人が神を愛しているなら,その人は[神]に知られているのです。

討論のための質問

□ なぜある若者たちは自分について消極的な考えを持っていますか。そのように考える若者の気持ちが分かりますか

□ あなたならご両親の要求をどのように扱いますか

□ 自尊心を培うどんな方法がありますか

□ 自尊心を培う際にどんな行き詰まりがありますか

□ 自分を過度に高く評価しないよう注意することはなぜ大切ですか



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どうして自分がいやになるのだろう

行き詰まり

ある著述家は,「性格の弱い,自尊心のない青年は時々,表面を装って世に臨もうとすることがある」と言いました。そのうちの一部の青年たちが演じる役どころはよく知られています。“腕っぷしの強い男”,乱交界の名士,奇抜な服装のパンクロッカーなどです。しかし,そういう青年たちはその見かけの背後で,やはり劣等感と闘っているのです。―箴言 14:13。

例えば,乱交にふける人たちのことを考えてみましょう。その目的は,「憂さ晴らし,(求められていると感じることによって)自尊心を高める,親密な関係を得る,妊娠によって別の人間,つまり疑わずに自分を受け入れてくれる赤ちゃんの愛を得る」ことなのです。(「十代の憂うつに対処する方法」)幻滅を感じた一人の若い女性は次のように書いています。「私は性的に親密な関係から慰めを得ようとして,創造者との強固な関係を築く努力を怠りました。私が築き上げたものといえば,むなしさと寂しさと,ますます憂うつな気分だけでした」。ですから,そのような行き詰まりに注意しましょう。

箴言14章13節
13 笑っていても,心の痛むことがある。歓びは悲嘆をもって終わりとなる。


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どうして自分がいやになるのだろう

自尊心を培う

弱くなった自尊心を強めるにはどうすればよいでしょうか。まず,自分の長所と短所を正直に見てみます。あなたのいわゆる欠点の多くは,ごくささいなものであることに気づくでしょう。短気とか利己主義などの重大な欠陥についてはどうでしょうか。これらの問題については良心的に努力しましょう。そうすれば,あなたの自尊心は確かに培われていきます。

さらに言えば,あなたがすでに持っている長所を見過ごしてはいけません。料理ができるとか,パンクしたタイヤを修理できるといったことなど,大して重要ではないと思っているかもしれません。しかし,おなかをすかせた人や,車が立ち往生してしまった人は,そのような腕を持つあなたに感心するでしょう。あなたの道徳的な美点についても考えてみてください。あなたは勤勉ですか。忍耐強いですか。同情心がありますか。寛大ですか。親切ですか。これらの特質には,ささいな弱点をはるかに上回る価値があります。

次の簡単なチェックリストを検討してみるのも助けになるでしょう。

現実的な目標を設ける: いつも高すぎる目標を目指していると,ひどく失望するかもしれません。達成可能な目標を設けましょう。タイプなどの技術を身につけるのはどうでしょうか。楽器の演奏や外国語を学ぶのもよいでしょう。読み方を改善したり,読書の幅を広げたりすることもできます。自尊心は,物事を成し遂げた際の有益な副産物なのです。

良い仕事を行なう: いい加減な仕事をしていると,自分のことを良く思えなくなります。神はご自分の創造の業に喜びをお感じになり,創造の一時代が終わる度にそれを「良い」と宣言されました。(創世記 1:3‐31)家庭や学校でどんな仕事をするにせよ,上手にまた良心的に行なうなら,その仕事を楽しむことができます。―箴言 22:29参照。

創世記1章3〜31節
3 それから神は言われた,「光が生じるように」。すると光があるようになった。4 そののち神は光を良いとご覧になった。そして神は光と闇との区分を設けられた。5 そして神は光を“昼”と呼ぶことにし,闇のほうを“夜”と呼ばれた。こうして夕となり,朝となった。一日目である。

6 次いで神は言われた,「水の間に大空が生じ,水と水との間に区分ができるように」。7 そうして神は大空を造り,大空の下に来る水と大空の上方に来る水とを区分してゆかれた。そしてそのようになった。8 そして神は大空を“天”と呼ぶことにされた。こうして夕となり,朝となった。二日目である。

9 次いで神は言われた,「天の下の水は一つの場所に集められて乾いた陸地が現われるように」。するとそのようになった。10 そして神は乾いた陸地を“地”と呼ぶことにし,水の集まったところを“海”と呼ばれた。さらに神は[それを]良いとご覧になった。11 次いで神は言われた,「地は草を,種を結ぶ草木を,種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を,地の上に生え出させるように」。するとそのようになった。12 そして地は草を,その種類にしたがって種を結ぶ草木と果実を産する木,その種類にしたがって種が中にあるものを出すようになった。それから神は[それを]良いとご覧になった。13 こうして夕となり,朝となった。三日目である。

14 次いで神は言われた,「天の大空に光体が生じて昼と夜とを区分するように。それらはしるしとなり,季節のため,また日と年のためのものとなる。15 そしてそれらは天の大空にあって光体となり,地の上を照らすことになる」。するとそのようになった。16 そして神は二つの大きな光体を,すなわち大きいほうの光体は昼を支配させるため,小さいほうの光体は夜を支配させるために造ってゆかれ,また星をも[同じようにされた]。17 こうして神はそれらを天の大空に置いて地の上を照らさせ,18 昼と夜とを支配させ,光と闇とを区分させた。それから神は[それを]良いとご覧になった。19 こうして夕となり,朝となった。四日目である。

20 次いで神は言われた,「水は生きた魂の群れを群がり出させ,飛ぶ生き物が地の上を,天の大空の表を飛ぶように」。21 そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。そして神は[それを]良いとご覧になった。22 そこで神はそれらを祝福して言われた,「子を生んで多くなり,もろもろの海の水に満ちよ。そして,飛ぶ生き物は地に多くなれ」。23 こうして夕となり,朝となった。五日目である。

24 次いで神は言われた,「地は生きた魂をその種類にしたがい,家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように」。するとそのようになった。25 そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。そして神は[それを]良いとご覧になった。

26 次いで神は言われた,「わたしたちの像に,わたしたちと似た様に人を造り,彼らに海の魚と天の飛ぶ生き物と家畜と全地と地の上を動くあらゆる動く生き物を服従させよう」。27 そうして神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された。28 さらに,神は彼らを祝福し,神は彼らに言われた,「子を生んで多くなり,地に満ちて,それを従わせよ。そして,海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。

29 次いで神は言われた,「さあ,わたしは,全地の表にあって種を結ぶすべての草木と,種を結ぶ木の実のあるあらゆる木をあなた方に与えた。あなた方のためにそれが食物となるように。30 そして,地のあらゆる野獣と,天のあらゆる飛ぶ生き物と,地の上を動き,その内に魂としての命を持つすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた」。そしてそのようになった。

31 そののち神は自分の造ったすべてのものをご覧になったが,見よ,[それは]非常に良かった。そして夕となり,朝となった。六日目である。

箴言22章29節
29 あなたは自分の仕事に熟練した人を見たか。その人は王たちの前に立ち,凡庸な人たちの前には立たない。


他の人々のために物事を行なう: 自分は何もしないで,他の人々にまめまめしく仕えてもらうのでは自尊心は得られません。イエスは,『だれでも偉くなりたいと思う者は奉仕者』,つまり他の人々の僕でなければならないと言われました。―マルコ 10:43‐45。

マルコ10章43〜45節
44 また,だれでもあなた方の間で第一でありたいと思う者はみんなの奴隷でなければなりません。45 人の子でさえ,仕えてもらうためではなく,むしろ仕え,かつ自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与えるために来たのです」。

例えば17歳のキムは,夏休みの間,他の人々が聖書の真理を学ぶのを助けることに月々60時間を費やす予定を立てました。「それによって私はエホバに一層近づくことができました。またそれは人々に対する真の愛を培うのに役立ちました」と,彼女は言います。この幸福な若い女性が自尊心に欠けることは恐らくないでしょう。

注意深く友達を選ぶ: これは17歳になるバーバラの言葉です。「自分自身との関係は非常に惨めなものです。自分を信頼してくれる人々と一緒にいるときは良い仕事ができます。自分を機械の付属品か何かのように扱う人と一緒だとばかみたいになります」。

高慢な人や無礼な人と接触すると,自分がつまらない人間であるかのような気持ちにさせられます。ですから,あなたの福祉に本当に関心を持ち,あなたを向上させてくれる友達を選びましょう。―箴言 13:20。

箴言13章20節
20 賢い者たちと共に歩んでいる者は賢くなり,愚鈍な者たちと交渉を持つ者は苦しい目に遭う。

神を最も親しい友とする: 「エホバはわたしの大岩,わたしのとりで……です」と,詩編作者ダビデは宣言しました。(詩編 18:2)ダビデが確信していたのは自分の能力ではなく,エホバとの親密な友情でした。そのため,後に逆境に見舞われた時も平静さを失うことなく,厳しい批判に耐えることができました。(サムエル第二 16:7,10)あなたも「神に近づき」,自分ではなくエホバを「誇る」ことができます。―ヤコブ 2:21‐23; 4:8。コリント第一 1:31。

詩篇18章2節
2 エホバはわたしの大岩,わたしのとりで,わたしを逃れさせてくださる方なのです。
わたしの神はわたしの岩。わたしはそのもとに避難します。
わたしの盾,わたしの救いの角,わたしの堅固な高台。

サムエル第二16章7節
7 そして,シムイは災いを呼び求めながら,このように言った。「出て行け,出て行け。この血の罪のある男,どうしようもないやつめ!

サムエル第二16章10節
10 しかし王は言った,「ツェルヤの子らよ,あなた方はわたしと何のかかわりがあろうか。だから,彼に災いを呼び求めさせなさい。というのは,エホバが彼に,『ダビデの上に災いを呼び求めよ!』と言われたのだ。であれば,だれが,『どうしてお前はこのようにしたのか』と言えるだろう」。

ヤコブ2章21〜23節
21 わたしたちの父アブラハムは,自分の息子イサクを祭壇の上にささげた後に業によって義と宣せられたのではありませんでしたか。22 あなた方は,[彼の]信仰がその業と共に働き,[彼の]業によって[その]信仰が完全にされたのを見ています。23 そして,「アブラハムはエホバに信仰を置き,彼に対してそれは義とみなされた」と述べる聖句が成就され,彼は「エホバの友」と呼ばれるようになりました。

ヤコブ4章8節
8 神に近づきなさい。そうすれば,[神]はあなた方に近づいてくださいます。あなた方の手を清くしなさい,罪人たちよ。また,あなた方の心を浄めなさい,優柔不断の者たちよ。

コリント第一1章31節
31 「誇る者はエホバにあって誇れ」と書かれているとおりになるためです。



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posted by 舞姫 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どうして自分がいやになるのだろう

『自分は何一つまともにできない』

どうして自分のことをそのように消極的に見るのでしょうか。一つには,自分に限界があるために気持ちがくじけるのかもしれません。大人になりつつある時には,物を落としたり,物にぶつかったりして毎日のようにばつの悪い思いをする,動作のぎこちない時期があるものです。その上,落胆してもすぐに立ち直れるような大人の経験が全くありません。また,「知覚力」が「使うことによって」十分に訓練されていないため,いつも一番賢明な決定を下すとは限りません。(ヘブライ 5:14)何一つまともにできない,と感じる時もあるでしょう。

親の期待にそえないということも,自尊心が弱くなる原因かもしれません。「学校で『A-』を取ると両親から,どうして『A』が取れなかったのかと聞かれ,お前はだめだと言われる」と,ある若者は言います。もちろん,最善を尽くすよう子供を激励するのは親の本能です。ですから子供は,無理のない期待にそえないと,まず間違いなく親の小言を聞くことになるでしょう。聖書はこのように助言しています。「我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない」。(箴言 1:8,9)落胆するよりもむしろ批判を冷静に受け止め,それから教訓を得るようにしましょう。

しかし親が公平を欠いた比較をする場合(「なぜポール兄さんのようになれないの。兄さんはいつも優等生だったのよ」)はどうでしょうか。そのような比較は,その時にはつらく思えるかもしれませんが,説得力のある場合も多いのです。ご両親はあなたのためにただ最善を望んでおられるのです。もしご両親の圧力が強すぎるように感じるなら,冷静に話し合うのはどうでしょうか。

ヘブライ5章14節
14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

箴言1章8.9節
8 我が子よ,あなたの父の懲らしめに聴き従え。あなたの母の律法を捨て去ってはならない。9 それはあなたの頭にとっての優美な花冠であり,あなたののどにとっての立派な首飾りだからである。



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posted by 舞姫 at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どうして自分がいやになるのだろう

どうして自分がいやになるのだろう

「私は何の取り柄もない人間だと思うわ」と,ルイーズは悲しそうに言いました。あなたも時々自分をいやに思うことがありますか。

実際,だれでもある程度の自尊心を必要とします。自尊心は「人間存在に尊厳を付与する要素」と言われてきました。それに聖書も,「隣人を自分自身のように愛さねばならない」と述べています。(マタイ 19:19)もし自分をいやに思うなら,他の人たちのことも恐らくいやに思うでしょう。

マタイ19章19節
19 [あなたの]父と母を敬いなさい,そして,隣人を自分自身のように愛さねばならない」。



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posted by 舞姫 at 07:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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